最新話 鉱山奴隷

公開:2020年8月30日最終更新:2020年9月11日
Ⅻ-5、鉱山奴隷

 

 

朝方は切れ目に日も射していた空は、次第に曇色で埋め尽くされ、時間が経つにつれ、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様へと表情を変えていた。クロッツェオ教会の真上の物言わぬ雲が、あわただしい人の動きを見下ろしている。

夜間の見張りを担っていた教会の入り口に立つ二名の衛兵に、朝一番に畑行ったコボルトの青年が息を切らして走り寄っていく。そしてついさっき畑で見た事を、身振り手振りまじりでその場にいた者達に伝えた。そうこうしているうちに、次第にクロッツェオ教会には労働者たちが集まりはじめる。しかし前例のない事態にどうすれば良いのか誰も分からず、右往左往するばかりだった。

そして司祭代理のヴォルフが定刻通りに到着する頃には、件の集団はクロッツェオ教会の目と鼻の先に迫りつつあった。

「これは一体何の騒ぎだ」

教会の様子がおかしい事をすぐさまに察したヴォルフが声を上げた。すると群れのリーダーのひと吠えに、一匹のコボルトがピンと背筋と尻尾を伸ばして答えた。

「は、はい! どうやら新しい仲間が逃げてきたようなのです! ですがその人数が
「多いと言うのか。何人になる?」
「二十人以上との報告が来ております!」
「なんだと?」

ヴォルフが眉根に皴を寄せて小さく唸ると、周りに集まってきた亜人たちが抑えきれないといった様子で勝手に喋り始める。

「ここに居るコボルトの兄弟も来たらしいぜ」
「こんな人数がいっぺんに来るなんて初めてだねえ〜」
「ど、どうしましょう? ヴォルフさん?」

一度にたくさんの新入りが入ってきた状況に酔っているのか、教会に集まっていた亜人の労働者たちは、少しばかり興奮状態にあるようだった。

「身なりから察するに、どうやら鉱山から逃げてきた労働者のようですな」
「御老体」

落ち着いた声が背中に掛けられ振り向くと、腰が曲がり杖をついた、ヴォルフよりも一回り小さい人間の姿が目に入った。付き添いの二人の若者を伴ってこちらに歩いて来たのは、スラムの顔役の老人だった。数少ない亜人と対等に話をしてくれる、話が分かる人間相手に、視線を落としながら疑問を呈する。

「鉱山奴隷。劣悪な環境で死ぬまで働かされる場所だと噂に聞いたことがある。この教会に向かっている者たちがそうだと?」

人間の元で働く亜人の待遇も様々だ。ヴォルフは主人には恵まれなかったが、人間の街の中での肉体労働などは苦ではなかったし、なにより愛する娘と一緒に居ることを許された。幸運な部類だったと言えるだろう。

対して、鉱山は罪を犯したり、反抗的な態度が治らない亜人が最終的に送られる場所とされている。当然家族とは会えなくなり、鉱山という閉じた場所での亜人の扱いなど、どうなるものか分かったものではない。だから亜人達は鉱山送りを恐れる。街で人間に使われている方がまだマシだと思うのが、多くの亜人の共通認識だった。

今思えば、ルディスに助けて貰った時のヴォルフは鉱山送りになってもおかしくはなかった。もっとも、あのまま抵抗し続ければ捕縛される前に殺されていただろうが。

「会えばわかりますわい、全身が土に塗れて咳き込んでおる。それに怯えた目をして人間を見ておった。わしはあの目をよう知っておる。よほど酷い目にあってきたのでしょう」

鎮痛な面持ちで顔を左右に振る老人の顔には、「いたたまれない」と書いてある。

「さて、如何いたしますかなヴォルフ殿」

自分たちが受けた恩と同じものを、他の亜人達にも与えるべきという矜持が、このコボルトの男の中には芽生え初めていた。どうするかなど決まっている。

「一人残らずこの教会で保護をしたい。しかしそのような判断を下せば、また人間の労働者の中には反発を抱く者が出るだろう」

教会を圧迫するほどの数の亜人奴隷を、ヴォルフの一存により受け入れれば、また教会に集まる人間達の反発を引き起こしてしまうに決まっている。折角時間をかけて溝を埋めてきた、クロッツェオ教会の人間と亜人の友好関係が再び崩れてしまうことは、ヴォルフとしても望むところではない。しかしそれを聞いたスラムのまとめ役の意見は、意外なものだった。

「いまこの教会を司祭様から預かっておられるのは貴殿です。この期に及んでまだ不平不満を言う者があれば、言って聞かせますゆえ。わしらも教会に属する者として、その判断に従いましょう」

ヴォルフは己の顔に緩やかな驚きの表情が広がるのを感じた。それは、種族も階級もなくこの教会の労働者たちを束ねるリーダーとして、ヴォルフが認められた瞬間だった。コボルトの男は噛みしめるように目を閉じて空を一度だけ仰ぎ見たのち、老人に再び向き合った。

かたじけない」
「なあに。司祭様もきっと、我々と同じ判断をなさるに違いありません。して、その司祭さまはいつごろ教会にお就きになるご予定ですかな?」
「あいにく本日は午後から。しかしこうなってしまっては、予定を変更して頂いてお呼びする他ない」
「それしかありませんな」

老人の言う通り、教会の主であるルディスへと一刻も早くこの事態を知らせねばならない。しかし彼女が住まう円の宮殿へは、亜人も三等市民も入れはしない。その為、まずは街中に住む護衛の二人のどちらか、もしくは先日加わったばかりのラッシュという男のいずれかに繋ぐ必要がある。

亜人やスラムの人間をルディスは別け隔てなく仲間だと言うものの、契約の上では只の労働者に過ぎない。二等市民以上の彼等ならば、司祭の部下として円の宮殿に立ち入る事が許されている。ヴォルフはすぐさま伝令を街中の司祭の所有する建物へと走らせた。

「今回は逃げ込んで来た人数が多すぎる。混乱を避けるためにも、すぐにも段取りを決めねば」
「では、役割分担とまいりましょう。我々スラムの住人は畑や教会の仕事を見ますゆえ、ヴォルフ殿と亜人種のみなさんは鉱山から来た者たちの面倒を見てやってくだされ。その方が、彼等も落ち着くようですからな」

こうなる事を予測していたのだろうか。いや、この老人もまた、最初から鉱山奴隷を助けるつもりだったのだろう。だからこそ、こうして早朝に自ら足を運び、ともに協力しあう道を提案してくれているのだ。人間と亜人種がクロッツェオ教会の元、同じ志のようなものを抱きつつあるのかもしれない。

「感謝致します、御老体」
「いやいや。年寄りの朝の早起きも、たまには役に立つものですなあ」

照れ隠しなのか冗談交じりに気持ちの良い笑顔を見せる老人に、ヴォルフもまた、笑みを返した。

畑に到着した鉱山奴隷の集団が、さらにそこから誘導されてクロッツェオ教会に現れると、いよいよ場は騒然となった。そして姿を表したことで、問題の集団の実態がようやく明らかになった。

男ばかりが30人。年齢はまちまちに見えるが、老いた者は少ない。種族はコボルトが多いが他の亜人種も数人混じっている。

肉体労働に適した体格の良い者ばかりとはとても言えず、着の身着のままという風体で、男たちは残らず全身が煤のような黒い土で汚れている。一匹混ざっていたダックなどは自慢のはずの羽毛が毛羽立ち茶色に染まってしまっており見目にも痛々しい。

「み、水を水をくれ頼む

集団から進み出たひとりの男が、掠れて乾ききった懇願を口にした。この有様では話を聞くことも難しい。そう判断すると、ヴォルフは疲れと安心感から教会の前庭に腰を下ろし始めた彼等に、水を配るよう指示を出した。

「あれっ、兄ちゃん? 兄ちゃんだ! わあ、夢じゃないよね?!」
「そうだ弟よ、会いたかったぞ!」
「お前、同じ村に居たやつだよな? 久しぶりだなあ! 無事だったのか!?」
「あ、ああ俺も覚えてるよ。嬉しいなあ生きて同郷のコボルトに会えるなんて、思わなかったよ」

亜人の労働者の何人かが、顔見知りを見つけて言葉を交わしていた。その内容を拾っていけば、どうやら彼等は本当に鉱山の労働者だということが分かってきた。

「まさか、あの草原の向こうの鉱山から来たというのか? 正気とは思えん。相当離れているぞ」
「ああ、そうだ。夜通し歩いて逃げ切ってやってのさ

ヴォルフの独り言に、眼の前に座っていたドワーフが答えた。男は片手で飲んでいた水をぐびぐびと一口に飲み干すと、地面に椀を置いてむくりと立ち上がった。小柄なドワーフらしくヴォルフの腰ほどまでしか無いが、重心の思いどっしりとした体格と、ツルハシを振るう者特有の節くれ立った手の持ち主だ。この中では最も鉱夫に相応しい体躯を持っている。

「黒髪の司祭ってのは居るか」
「司祭様はご不在だ。今は私が責任を預かっている」

それを聞いたドワーフの男は動じた様子もなく、再び腰を下ろす。丈夫そうに見えるが、他の鉱山夫たち同様疲労の蓄積には勝てないようだ。

「居ねえのか待たせてもらうぜ」
「お前がこの集団のリーダーか?」
「そうだ。この教会が亜人を受け入れてるって聞いたもんで、野郎共を引き連れて来たんだ」
「待つと言ったな。私では話せないと言う事か?」
「悪いな、一番上が信頼出来る奴かどうかを直に話して確かめたい。部下を預けるんだからな」
「分かった。好きにするがいい」
しかし、コボルトが責任者とはな。噂は本当のようで安心したぜ」

クロッツェオ教会の前庭の草の上にどっかりと座り込んだドワーフの男は、それから目を瞑り、あぐらと腕を組んで眠ったように動かなくなった。

 

 

 

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2020年08月30日初稿作成